傀儡音楽

かいらいおんがく

片瀬那奈は多分タバコを吸う

 片瀬那奈という女性タレントがいる。モデル出身の長身の美女だ。俺はそれほど好きでもないけど、シングル曲が思いのほか良かった(ちょっと前にやってたカヴァー曲はつまらなかった)。俺、片瀬那奈の見た目はそれほど好きじゃないけど、音楽が好きなので本人も好きな部類。
 なぜかわからないけど片瀬那奈はタバコを吸ってそうだ。
 そしてファンがそれを知ったところで全く動じない気がする。彼女の魅力は喫煙者という事実では一切くもらない。そんな気がする。吸ってそうに見えない? 失礼なこと言ってたらごめんなさい。

 エレファントカシマシ宮本浩次が『生活』というアルバムを作っていた時期、彼は陰鬱で引き篭もりのような生活をしていたわけではなかったそうだ。「あーあー死にてぇなぁ」とか言いつつも、家族と同居し、三度三度の食事を食べ、音楽に打ち込んでいたそうだ。『生活』はそれこそ孤高の詩人が世を見て憂えて、暗い自室で頭を抱えているような作品だったので、当時のリスナー──光がさんさんと輝くフィールドで周囲の仲間たちと楽しくやってそうな人々と、自分との間に、大きな隔たりを感じていた多くの若者──から、その心情吐露の重たさに絶賛を受けたわけだけど、実際には家族団らんの中で生まれた作品だったわけだ。あの作品はフィクションの面を多々持っている。
 だからといってあの作品のすばらしさは全く失われない。浩次の私小説でないことは無関係なのだ。あの作品がノンフィクションでなかったことで、ショックを受けたリスナーはどれくらいいるのだろう?

 作品は作品として輝く。作者が殺人犯だろうが、いやみな奴だろうが、悪臭ただよう不潔野郎だろうが、作品のよさとは無関係だ。片瀬那奈がタバコを吸っていたとして「Galaxy」は名曲のままなのだ。発するメッセージもぼやけたりしない。

 作品が好きで、とても評価していて、大事なもので、自分という人間を形成する一部分であったとして、それが作者になんの関係があるというのか。ソフトの受け手は受け手に過ぎない。勝手に影響を受けた身だ。それに、作品を愛したこの気持ちは嘘じゃない。嘘にしたくない。

 ミュージシャンやアーティストが自分のイメージと違っていたからという理由で、「だからもう聴かない」「裏切られた」と言い出すのは自由だ。でもそれって子供っぽいかな、とは思う。がっかりさせられたとしても、それまでの作品で喜ばせてもらってることもあるし、自分の勝手でもあるんだから、黙って手を振って決別して、また愛せる作品を出してるようだったら戻ってくればいいと思いますよ。わざわざ本人に伝えに行ったりしないほうがいい、と思います。

 「自分は名もなき単なるソフトの受け手の一人でしかなく、作り手は自分ひとりのためにソフトを作ってくれているわけではない」という事実を、勇気を持って皆が強く意識すべきだと思います。それによって悲しい取捨選択が起こっても、それに耐えうるだけの選択肢が世の中にはあるのだから。

 と思いました。

 相変わらず「だである調」と「ですます調」混在のショボい文章ですみません。